稽古場で何度もリハーサルを重ね、脚本を読み込み、役柄に命を吹き込む。長い準備期間を経て、ようやく幕を開けたにもかかわらず、客席が埋まらず、制作費の回収にも苦労する。小劇場で活動している人であれば、そんな経験をしたことがあるかもしれません。
「これだけ時間をかけたのに、どうして収支が合わないのだろう」「良い作品を作れば、もっとお客さんが来ると思っていた」「演劇を続けながら、経済的にも成り立たせる方法はないのだろうか」
もちろん、公演の収支は、作品の内容、宣伝、チケット価格、会場選び、上演日程などに左右されます。制作や広報を改善することで、収入を増やしたり、支出を抑えたりできる余地もあります。しかし、それだけでは説明できない、舞台芸術に固有の構造的な問題もあります。
その問題を半世紀以上前に分析したのが、経済学者ウィリアム・J・ボウモルとウィリアム・G・ボウエンです。この2人が1960年代に発表した『Performing Arts: The Economic Dilemma』は、日本では『舞台芸術――芸術と経済のジレンマ』という題名で翻訳されています。
演劇、音楽、オペラ、舞踊などの舞台芸術が、なぜ経済的に不安定になりやすいのか。この本は、その理由を個々の芸術家や団体の努力不足ではなく、産業の構造から説明しました。
ボーモルのコスト病とは
この本をもとに広く知られるようになった考え方が、ボーモルのコスト病です。
原著では、弦楽四重奏が例として挙げられています。弦楽四重奏を演奏するには4人の演奏家が必要です。45分間の曲を演奏するのであれば、4人がそれぞれ45分間演奏しなければなりません。これは、100年前でも現在でも同じです。
演奏の速度を2倍にすれば、半分の時間で演奏を終えられるかもしれません。しかし、それでは作品そのものが変わってしまいます。4人で演奏する曲を2人で演奏すれば、同じ演奏とはいえません。
一方、製造業では、機械化や自動化によって生産性を大きく向上させることができます。かつては多くの人が長い時間をかけて行っていた作業を、現在では機械やロボットが短時間で処理できます。同じ人数、同じ労働時間でも、以前より多くの製品を作れるようになります。
舞台芸術でも、すべての業務が昔のままというわけではありません。オンラインでのチケット販売、顧客管理、宣伝、照明や音響の操作、事務処理などは、デジタル技術によって効率化できます。映像配信を使えば、劇場の外にいる人にも作品を届けられます。
しかし、生身の俳優や演奏家が一定の時間をかけて実演するという中核部分は、製造業のように大幅に省力化することが困難です。同じ作品を、同程度の上演時間と出演者数で上演する限り、必要な労働時間を半分や10分の1にすることはできません。
生産性は上がらなくても人件費は上がる
舞台芸術の生産性が上がりにくいからといって、そこで働く人の賃金(人件費)を昔のままにしておくことはできません。
製造業やIT産業などで生産性が上がれば、その分野では賃金も上がっていきます。社会全体の賃金水準(人件費水準)が上がれば、舞台芸術の分野でも、俳優、演奏家、舞台スタッフ、制作担当者などに相応の報酬を支払わなければ、人材を確保できなくなります。
ところが、舞台芸術の中核部分では、人件費が上がっても、一公演に必要な人数や時間を大幅に減らすことができません。その結果、一公演あたりの人件費は上昇します。
製造業であれば、賃金が上がっても、一人が作れる製品の数を増やすことで費用の上昇を吸収できます。舞台芸術では、その方法が使いにくいのです。これが、ボーモルのコスト病と呼ばれる現象の基本的な仕組みです。
すべての舞台が赤字になるという意味ではない
一方でボーモルのコスト病は、演劇は必ず赤字になるという理論ではありません。
商業演劇やミュージカルの中には、チケット収入によって制作費を回収し、大きな利益を上げる作品もあります。人気俳優の起用、適切な価格設定、大きな会場、長期間の上演、全国ツアー、関連商品の販売などによって、収益を確保できる場合もあります。
小劇場公演でも、制作規模を調整し、集客を成功させれば、チケット収入で費用を賄えることはあります。
コスト病が示しているのは、舞台芸術の費用が、製造業などに比べて相対的に上昇しやすいという傾向です。そのため、多くの舞台芸術団体では、チケット収入などの事業収入だけで支出のすべてを賄うことが難しくなりやすいという指摘です。個々の公演が黒字になるか赤字になるかと、舞台芸術という分野全体が抱える構造的な問題は、分けて考える必要があります。
この本が分析したのは1960年代のアメリカ
『舞台芸術――芸術と経済のジレンマ』を読む際には、その調査対象にも注意が必要です。
ボウモルとボウエンが直接分析したのは、主として1960年代までのアメリカの舞台芸術です。現代の日本の小劇場を調査した本ではありません。
アメリカと日本では、寄付文化、文化政策、劇場制度、雇用形態などに大きな違いがあります。1960年代には、インターネットでのチケット販売も、SNSでの宣伝も、舞台映像の有料配信もありませんでした。
そのため、この本に記載された個別の数値や団体運営の状況を、現在の日本にそのまま当てはめることはできません。
それでも、生身の実演では生産性を急速に向上させにくく、社会全体の賃金上昇によって相対的な費用が増えやすいという構造は、現在の日本の舞台芸術を考える上でも参考になります。
なぜ今、この本を読むのか
現代の日本では、舞台芸術を取り巻く条件も変化しています。
物価や人件費の上昇によって、劇場費、稽古場費、輸送費、舞台美術費などの負担は重くなっています。人口減少による将来的な観客市場の縮小も懸念されています。
一方で、オンライン販売、SNS、動画配信、クラウドファンディングなど、1960年代には存在しなかった手段も生まれています。現在の舞台芸術は、ボウモルとボウエンが分析した時代と同じではありません。
本書が予測したすべての問題が、そのまま現実になったわけでもありません。チケット価格の引上げ、観客の拡大、寄付や助成の増加によって、費用の上昇に対応してきた団体もあります。
それでも、舞台芸術はなぜ費用が上がりやすいのかという問いに対して、本書が示した基本的な考え方は、現在も重要です。
目の前の公演が赤字になった理由を考えるとき、宣伝や作品内容だけを見ていると、すべての責任を自分たちに負わせてしまうことがあります。本書を読むことで、個々の努力とは別に、舞台芸術そのものが抱えている条件を理解できるようになります。
まとめ
『舞台芸術――芸術と経済のジレンマ』は、良い作品を作れば必ず経営もうまくいくという考えにも、舞台芸術はどうせ赤字になるという諦めにも立っていません。
舞台芸術には、制作や広報の改善によって解決できる問題があります。一方で、個々の団体の努力だけでは解消しにくい構造的な問題もあります。この二つを混同しないことが大切です。
公演の収支が厳しかったとき、すべてを作品の質や自分たちの能力の問題として受け止める必要はありません。ただし、構造的な問題があることを理由に、集客や経営の改善を諦めてよいわけでもありません。
どこまでが自分たちで改善できる問題で、どこからが舞台芸術という分野に共通する問題なのか。それを切り分けて考えるために、ボウモルとボウエンの議論は役立ちます。
この本の日本語版は、現在は新刊での入手が難しく、中古でもオンライン書店ではかなりの高額値付けがされていますが、大きな図書館などに所蔵されている場合があります。
本書全体を読むのが難しくても、ボーモルのコスト病という考え方を知るだけで、舞台芸術の経営を見る視点は変わります。
なぜチケット収入だけでは費用を賄いにくいのか。なぜ舞台芸術では、他の産業と同じ方法で効率化することが難しいのか。
経済的な苦境を、個人の失敗だけで説明しないこと。同時に、構造を理解した上で、自分たちが改善できる部分を考えること。
そのための一冊として、『舞台芸術――芸術と経済のジレンマ』は、現在の舞台芸術に関わる人にも読む価値のある本です。