小劇場を中心に活動している演劇人の皆さん、そして制作担当者の皆さん。ふだん使っている公共ホールや小劇場の運営費が、もし突然2割削減されると言われたら、どう思いますか。
近年、全国の自治体で進む財政難を背景に、文化予算の見直しが相次いでいます。演劇を続けていく上で欠かせない公共ホールや公共劇場の存続が、実際に危ぶまれるケースも出てきました。今回は、愛知県長久手市にある長久手市文化の家という、演劇関係者の間ではよく知られた直営ホールの事例を中心に、もし自分たちが使っている公共ホールや公共劇場の行政による文化予算が削減されそうになったら、演劇人はどのように対抗し、あるいは受け入れるべきかについて考えてみたいと思います。演劇を支える公共ホールと行政、そして文化予算の関係性は、演劇人にとって決して他人事ではありません。
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長久手市文化の家という施設をご存じでしょうか。名古屋の東側に位置する長久手市にあるこの施設は、公共劇場としては珍しい直営方式を長年続けてきたことで知られ、大阪や東京の劇団もわざわざ遠征するほどの評価を受けてきました。小劇場の関係者からは劇場職員が熱心で、創造性を引き出してくれると評判の、いわば演劇人にとっての聖地のひとつです。
しかし、この長久手市文化の家が現在、深刻な危機に直面しています。今年1月に開催された運営委員会の議事録を見ると、市全体の財政難を受けた事業総点検により、施設管理費と事業費が約2割も削減されることが決定したと記されています。具体的には、舞台技術者が4人から3人に減らされ、ホールを二つ同時に使うことが難しくなる。さらに、長年培われてきた専門的な知識を持つ職員が定年退職でいなくなり、後任が確保されていないのです。
この公共ホールの危機に対して、演劇人は単にけしからんと怒るだけでは足りません。委員の方々は切実に市民がこの危機を知らないと訴えています。市外に住む演劇人も、この問題を自分ごととして捉え直す必要があるでしょう。
文化予算削減は当たり前という現実
ただし、ここで冷静にならなければならないことがあります。日本全体で人口が減少し、税収が見込めなくなる中で、これまでと同じ水準で行政の規模を維持できないという現実があります。道路や橋の維持、福祉、教育、防災といった優先順位の高い分野と比較したとき、残念ながら文化予算の削減は、客観的に見れば当たり前のことなのかもしれません。
長久手市に限らず、多くの自治体が同じような課題を抱えています。演劇人は文化こそが人間を豊かにすると信じています。しかし、その信念が、自治体の財政担当者にとってどれだけ説得力を持つかと言えば、必ずしも十分ではないでしょう。なぜなら、行政職員や地方議員は、文化予算の削減が生活に直結するインフラや社会保障の削減よりは、まだ市民の理解を得やすいと考えるからです。
この厳しい現実をまずは受け止めること。それが対抗するための第一歩ではないでしょうか。受け入れられない現実に目を背けていては、効果的な戦略を立てることはできません。
公共ホールは演劇人だけのためにあったのか
さらに、ここで演劇人は厳しい自己批判もしなければなりません。そもそも公共ホールや公共劇場は、本当に市民全体に対して十分な恩恵を与えてきたと言えるのでしょうか。
長久手市文化の家の議事録の中でも、委員の一人が利用者もお客さん気分ではなく、自治の気持ちが必要と発言しています。この言葉は、演劇人に対しても向けられていると受け止めるべきです。演劇関係者は、公共ホールを、自分たちの公演のためだけに使ってきませんでしたか。日頃の稽古や仕込み、リハーサル、本番。確かにそれらは大切な活動です。しかし、それだけでは公共ホールは演劇好きの一部の人のためだけに私物化された空間と見なされても仕方がありません。
大多数の市民は、実際にどれだけ公共ホールの活動に触れる機会があったでしょうか。上演はもちろんのこと、ワークショップや、地域の子どもたちを対象としたアウトリーチ活動といった取り組みがあったとしても、それらが市民全体に十分に届いていたとは言い難いのではないか。多くの場合、こうした活動を認知しているのは、もともと文化芸術に関心のある一部の層に限られてしまいます。
長久手市文化の家の議事録では、職員の方が27年間の実績は庁内でも認められていると発言しています。それにもかかわらず予算削減が決まったということは、その実績が市民全体の共感や理解として可視化されていなかったという証拠とも言うことができるのではないでしょうか。つまり、市内外の演劇人は公共ホールの価値を、市民や行政に対して十分に説明してこなかったのです。この文化予算が削減されるという局面は、そのツケが回ってきたにすぎないのかもしれません。
文化予算削減にどう対抗するか
では、演劇人はどのように対抗すれば良いのでしょうか。単に補助金を減らさないでくださいと嘆願するだけでは、もはや通用しない時代です。長久手文化の家の議事録から、いくつかのヒントを読み取ることができます。
まず最も重要なのは、市民との対話です。長久手文化の家の委員からは、情報誌に文化の家を考えるコーナーを設けてはどうか、オープンスペースを活用した市民との直接対話の場を設けてはどうかといった具体的な提案がなされています。つまり、演劇人は、閉じたコミュニティの中で嘆くのではなく、積極的に街に飛び出し、市民の声を聞き、そして想いを伝える必要があります。
次に、収入確保のための工夫です。使用料の見直しやクラウドファンディング、ふるさと納税の活用など、さまざまな可能性が議論されています。施設名である文化の家という名称だけは絶対に変えるべきではないという強い意見がある一方で、施設の一部分のネーミングライツについては検討の余地があるとされている点も注目です。譲れない核心と、譲歩できる部分を明確に区別するという姿勢は、演劇人も学ぶべきでしょう。
受け入れるという選択肢の意味
一方で、文化予算削減を受け入れるという選択肢も視野に入れるべきかもしれません。すべての公共ホールや公共劇場を現状のまま維持することは、もはや現実的ではないからです。重要なのは、どのように受け入れるかです。
例えば、規模を縮小した上で、より質の高いプログラムに集中する。あるいは、複数の自治体で公共ホールを共同運営する。さらに、行政による直営ではなく、指定管理者制度や民間のノウハウを活かした新しい運営形態に移行することも選択肢のひとつです。長久手文化の家の議事録でも指定管理の再検討も含め総合的に判断していくという事務局の回答がありました。
受け入れるということは、決して諦めることではありません。変化する環境に適応しながら、地域の住民や演劇関係者の大切にしたい価値をどのように次の世代に繋いでいくかを、冷静に考えることです。もしかすると、縮小や統合を経験することで、逆に演劇の本質的な強みが再発見されるかもしれません。例えば、大規模な公共ホールに依存しない、街角や空き店舗を使った小劇場ならではの創造性が、より輝く可能性もあるのです。
まとめ
長久手市文化の家の事例が示すように、行政による文化予算の削減は、もはや遠い国の出来事ではありません。演劇にとって極めて深刻な事態に対して、演劇人が取るべき態度は、単純な対抗でも、諦めに近い受け入れでもありません。まず現実を直視することです。人口減少と財政難の中で、文化予算の削減はある意味で当たり前のことかもしれません。しかし、その当たり前を前提とした上で、演劇人としても公共ホールや公共劇場の真の価値を、市民と行政に対して丁寧に説明し直す必要があります。そのためには、演劇人のためだけの空間という発想を乗り越えなければなりません。市民にとって公共ホールとは何なのか。どれだけの恩恵をもたらしてきたのか。そして、もたらせなかったのか。この自己批判なしに、説得力のある対抗策は生まれません。
長久手市文化の家の議事録には、危機の中にあっても前向きな提案がいくつも記されていました。市民との対話、収入源の多様化。そして何より、文化の家という名前に対する強い愛着と誇り。これらの要素は、演劇人がこれから公共ホールとどのように関わっていくべきかを教えてくれています。
皆さんの街の公共ホールは今、どのような状況にありますか。市民や公共ホールを使う演劇人同士の小さな対話の積み重ねが、次の時代の文化予算を守る、最も確かな力になると思います。
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